『米テーパリングの先に見えるもの』
8月27日、ジャクソンホールでのパウエルFRB議長の「年内のテーパリング」発言で米金融政策が新たな局面を迎えることになる。テーパリングは金利上昇を意味しているが、この日株価は好感、債券と為替市場は無風であった。(9月1日 文責太田)
目 次
1、テーパリングは何を惹き起こすか
2、過去の米長期金利と株価の動き
3、長期金利低下トレンド終焉と米国株式の潜在的リスク
4、米国企業の積極的な自社株買いがもたらした財務政策
5、2022年金利上昇と財務戦略の転換?
6、日米とも年内の株価は緩やかな上昇
7、日本株が上昇色を濃くするのはもう少し先か
8、テーパリング実行による来年のリスク
9、2022年の「中国リスク」とは?
テーパリングは何を惹き起こすか
テーパリング(FRBによる資産購入縮小)は金融市場に何を惹き起こすか? 年内の FRB のテーパリングがいよいよ射程に入り、この先の問題点が浮かび上がる。 まずテーパリングは1) 金利上昇要因か否か? さらに 2).金利上昇は株高要因か否か? そして 3) 長期的株価と金利の関係は変わったのか否か? 1)の テーパリングは、 常識的には金利上昇要因だろう。しかし 今年 2~3 月からテーパリング懸念が台頭し 7 月の FOMC では議事録から年内 開始の意見が大勢ということが分かった。にもかかわらず、長期金利はこの5か月間低下している。例えば、米10年国債利回りは1.7%から1.3%に低下し、常識とは真逆の動きをみせている。この金利低下は、テーパリングによって景気減速を惹き起こすことを債券市場は先読みしているのだろうか?しかし、この間の米株価は史上最高値を更新し続けていることから、その解釈は間違いのようだ。
それでは、2) の金利上昇は株高要因か否か? これも常識的には株安要因。しかし 昨年8月以降 今年 2月までは金利上昇と株高が同時進行した(米10年国債利回りは0.5%から1.5%に、NYダウは27000ドルから31500ドルへ)。他方その後3月以降は金利低下と株高が進行するなど、しばしば常識と相反する動きが展開された。
そこで米市場の個別セクターの反応を見ると、金利上昇が 景気拡大予想によりもたらされたと考えて、景気敏感株が上昇。他方、金利上昇はPER(株価収益率)が大きいハイテク・グロース株にはマイナスに働いた。逆に今年 5~7月の長期金利の急低下局面(1.69%から 1.17%へ)では、景気敏感株の代表であるダウ輸送株指数は10%下落し、ハイテク・グロース株を構成するナスダック指数は 12%上昇している。金利に対する反応では景気敏感株とハイテク株の動きは相反しているのがわかる。
このように、このところの市場は論理的解釈が困難であるが、それはファンダメンタルズや論理ではなくNY市場は需給(金余り)で動いているからであろう。今のNY市場は潤沢な投資資金でもっぱら需給により左右されている。したがって、市場の短期的動きを合理性や法則で解釈することは、もともと無理なのではないか。
しかしこの先1年以上の長期を展望すれば、大きな趨勢の変化はほぼ見えている。第一にコロナパンデミックは終息に向かい、経済へのダメージは顕著に減速していくだろう。第二に景気回復で資金需要増加とこれまでの個人の貯蓄余剰が減少をもたらし、テーパリングも加わって長期金利は上昇していくだろう。10年国債利回りは2022年にはコロナ前の2018年末から2019年の2.5~3%までには容易に戻るだろう。その後さらに金利が上昇することはないとしても、金利上昇のリスクに市場が敏感になる可能性は十分に考えられる。
過去の米長期金利と株価の動き
それでは、長期金利が長期的に下落から上昇に転ずる時、株価にどう影響するのだろうか。この点に関しても過去を振り返ると、両者の関係はその局面で大きく変わっており、一貫した相関性はな714
金利と株価=企業利益を比べるには株価の益利回り(PER、株価収益率の逆数、1÷PER、つまり企業利益÷株価、PERは株価÷企業利益)を見る。株価が上がればPERは上がり益利回りは下がることになる。
そこで、過去を見ると、1980年から1999年の20年間では金利低下は益利回りを押し下げ(PERを押し上げ)、株高要因だった。その後、2000年から2012年まで金利低下と益利回り上昇(PERの下落)つまり株価下落が同時進行し、金利低下が株安要因になっている。
この時期は景気減速期だったようだ。
その後2012年から2018年は10年国債の利回りはほぼ横ばいで益利回り下落(PERは高い)している。この間の株価は金利に無関係に上昇したことになる。しかし2019年以降、金利低下と益回り低下(=PER上昇、株高)が同時進行しているように見える。1999年以前のように益回りと長期金利が同方向に動く時代に入っている可能性は十分に考えられる。であれば今後予想される金利上昇は、益利回りを押し上げる(PER下落)株安要因になる。
金利上昇にはインフレ懸念に基づく「悪い金利の上昇」と景気拡大による「良い金利の上昇」とがある。当面予想される金利上昇は良い金利上昇(=経済拡大による)であり、悪い金利上昇(=インフレ)ではないと考えられる。また金利と株価の関係が1999年以前に戻りつつあるとしても、現在のNYダウの株式益回りは8月27日現在で4.19%とこの日の10年国債利回り1.31%よりはるかに高く、1~2%程度の長期金利上昇に株価は堪え得るバッファー(衝撃を和らげる緩衝材)を持っていることになる(ちなみに、99年の米10年債金利は6.4%)。
長期金利低下トレンド終焉と米国株式の潜在的リスク
しかし、テーパリングが実行されれば、米株の短期急落のリスクは否定できない。その引き金になりそうなのは、米国企業が40年間続いた長期金利低下という金融環境に慣れてしまっていることである。市場がそのリスクに気付けば、株価急落などの一時的ショックを引き起こす可能性も排除できない。
米国企業は利益を100%株主に還元してきた。低金利の環境下で米国企業はほぼ利益のすべてを配当と自社株買いで株主還元してきた。例えば、2015年から2020年の6年間に米国企業(除く金融)は6.17兆ドルの税引き利益を計上したが、この間の株主還元は配当3.63兆ドル、自社株買い2.51 兆ドル、合計6.14 兆ドルと、獲得した利益をすべて吐き出した形となっている。内部留保による自己資本の増加は全く無かったわけである。にもかかわらず債務は債券主体に3.04兆ドル増加している。企業の債務依存は大きく高まっている。
この企業による自社株買いはリーマンショック以降の11年間に累計4.06兆ドルに達し、米株式市場の唯一最大の買い主体であった。リーマンショック後から今日まで、米国株式は6.5倍と主要国を大きく上回る上昇を遂げたが、それはもっぱら企業の株価本位の財務戦略に支えられていたのである。
米国企業の積極的な自社株買いがもたらした財務政策
米企業は利益を配当と自社株買いで、最大の株主利益である株価上昇を実現するという、株価本位の財務戦略を採ってきた。それを証明するために、米国、日本、欧州企業の負債資本倍率 (D/Eレシオ)を見てみる。 DEレシオ (D/Eレシオ)とは、企業財務の健全性(安全性)を見る指標の一つで、企業の資金源泉のうち、 負債 (Debt)が 株主資本 (Equity)の何倍に当たるかを示す数値(倍率)をいう。 企業において、返済義務のある有利子負債等が、どれだけ返済義務のない株主資本(自己資本)でカバーされているかを示し、通常、1倍を下回ると財務が安定しているとされている。直近の数値では、米企業は1.20倍、欧州で1.10倍、日本企業は0.80倍である。
このように米企業にとって重要な役割を果たしてきた株価本位の財務政策、つまり企業財務の健全性の低下は、今後予想される金利上昇局面において耐久力が試されることになる。FRBのテーパリングが金融緩和時代の終焉を導けば、自社株買いを起点とした株価上昇の好循環が減速し、時には逆転する可能性も排除できない時代に入ってきたのではないだろうか。
2022年金利上昇と財務戦略の転換?
2022年、米金利上昇で米企業の財務戦略転換、巻き戻しを引き起こすのだろうか。そうなれば、その影響は株価にも及び得る。債務の抑制→自社株買いの抑制等が起きないかどうか、今後注視するべきである。
それは株価本位の米国企業の財務政策がもたらした、米国の突出した株式バリュエーション(株価が相対的に割安か割高かを判断する指標のことをいう。具体的には、株価純資産倍率(PBR)や株価収益率(PER)、配当利回りなどがある)の修正を意味する。株式バリュエーションを日米で比較すると、株式時価総額対GDP比率は米国268%、日本133%、PERは米国が23倍、日本は15倍、PBRは米国4.59倍、日本1.28倍と極端に開いている。米企業の高いPERの修正もありうる。
米長期金利の低下局面で米国株式は自社株買いの拡大で日本株式を大きく勝ってきた。その結果が前述のような日米株式の株価指標バリュエーション格差であったとすれば、金利の上昇転換は日米株式格差の修正が起こるのは必至。
米金利の長期的視点での転換は、米国企業と好対照な世界で最も財務レバレッジの低い日本企業と日本株式に有利に働くのではないか。また米国金利上昇はドル高・円安を促進すると見られ、日本株式にはダブルの追い風となりそうである。
日米とも年内の株価は緩やかな上昇
パウエル議長は市場の大きな混乱を招かずにテーパリング開始を織り込むことに成功した。一つのイベントが通過して今年の年末までと来年の短期的な株価はどうなるだろうか。
その見通しは日米とも、年内は極めて緩やかな上昇で、来年は一度大きな修正局面があると見ている。ただ、来年の下振れもずっと株価が下がり続けると予想しているわけではなく一旦大きくと下落するというイメージであって、向こう数年単位では、特に日本株は上昇基調を見込んでいる。したがって、来年「下がれば買い」となる。
まず今年内の緩やかな株価上昇については、新型コロナウイルス変異株の流行に対する懸念が継続しても、世界経済と企業収益が持ち直し続けていることが大きい。米国の雇用については、雇用者数の回復は遅いが、今年7月時点の雇用者の総所得はコロナ禍前のピーク(2020年2月)を4%ほどすでに上回っている。GDPの最大の需要項目である個人消費は家計の所得増によって支えられると期待でき、これは、大きな株価の下支え要因だ。
こうした米国のマクロ経済の回復基調により、S&P500指数採用企業の先行き1年間の1株当たり利益予想値は、前年比42%増と大幅な増益が見込まれている(同国のファクトセット社集計によるアナリスト予想平均値)。
日本も世界経済回復の恩恵を受けており、とくに大企業製造業は、日本が得意とする設備機械やそれを支える機械部品・電子部品の輸出が増加している。そのため、製造業中心の企業収益の回復が見込まれており、東証1部全銘柄についても45%増益が予想されている。
このため、日米ともに年末に向けて株価上昇を見込んでいるが、その上昇力は限定的だろう。その理由は、世界経済と企業収益の回復はすでに市場で相当織り込まれているからだ。とくに米株のPER(株価収益率)の水準自体は高い(NY ダウで23倍超)。
年内NYダウは3万7000ドル程度の高値を想定している。これは8月末終値から5%弱高い水準にすぎない。日経平均については、年内に3万円の大台を超え、高値メドを3万2000円には置いてはいるものの、今年の高値(ザラ場ベースで2月16日の3万0714円)を抜くことができるかどうかは、かなり微妙な情勢だ。仮にそれを上抜けて3万2000円に達することができたとしても、それは8月末の水準から10数%高いだけだ。
日本株が上昇色を濃くするのはもう少し先か
とくに日本株については、リスクとして、政治情勢が挙げられる。足元は菅義偉政権の経済政策に期待して株価が支えられているという状況ではない。このことは、もし菅首相が交代したとしても、株価が下落することもないことを意味する。実際、8月22日の横浜市長選挙で菅首相が支持する候補が敗れても、翌日の日本株は上昇した。
それでも、9月29日の自民党総裁選挙、そして10月の総選挙が終わるまでは、結果が出ていない分だけ不透明で、日本株を大きく買い上げる材料にはならない。
このため、逆に選挙がすべて終われば、結果がどうあれ、イベント通過で不透明ではなくなる。したがって、国内外の投資家が日本株の売買について判断がしやすくなる。また、前述のように日本の企業収益見通しはかなり明るくなっているが、まだ投資家は疑心暗鬼のようだ。4~6月期の企業収益が7~8月に発表され、自社の収益見通しを大きく上方修正した企業などは株価が直後に上昇したが、その勢いが長続きしなかった印象だ。しかし、さすがに4~9月期の半年分の業績が10~11月に公表されて、収益改善が一段と如実に示されれば、日本株全般に上昇力が強まりそうだ。
こうした点から、10月初め辺りでも日経平均は3万円手前で青息吐息かもしれないが、その後は年末に向けて3万円超えを目指すと見込んでいる。
テーパリング実行による来年のリスク
さて、ここでまだ早いかもしれないが、2022年の主な世界的リスクを2つほど挙げる。一つ目は、すでに前述したように米国の金融政策だ。ジャクソンホールでのパウエルFRB議長の講演「年内にもテーパリング(緩和縮小)を開始することが妥当」との発言も市場の波乱もなく株価は持ち直した。
したがって、市場は年内のテーパリング開始を織り込んでおり、テーパリングスケジュールの公表、おそらく11月のFOMCで、12月から開始する旨を発表すると予想しているが、それで市場が揺れることにはならないだろう。
しかしテーパリングについて、別のリスクがある。それは、実際に量的緩和を絞り始めると、先に述べたように、これまで金融緩和の環境に慣れた企業や投資家に動揺が広がり、それが経済や株式・債券市場などに大きな波乱を生じる、ということだ。それは今年ではなく、テーパリングが一段と進む来年のリスクだろう。
2022年の「中国リスク」とは?
2つ目は「中国リスク」だ。中国に関するさまざまなリスク、例えば同国の景気減速や株価下落への懸念、米中間の対立(人権問題や安全保障面)の激化、中国政府による突然の産業規制、同国企業のアメリカ上場に対する制限などなどだ。
ただ、来年2月の北京冬季オリンピックを多くの国が参加する形で成功させたいと、今の中国政府は考えているだろう。とすれば、その前に中国から過激な行動には踏み出しにくいと見込む。逆にいえば、そのあとは何が起こるか予想しがたい。この点で、「中国リスク」は短期も中期も長期もリスクであり続けると懸念するものの、今年以上に来年は警戒すべき展開となりうる。
こうして、今年より来年のほうが、2つのリスクが世界市場に大きくのしかかるとすれば、日米など主要国の株価は、来年は一時的に下振れしよう。NYダウ、日経平均ともに今年の高値から最大2割弱の調整があるかもしれない。
それでも、それらの下値メドは、今年の上値メド(NYダウが3万7000ドル、日経平均が3万円超)から、せいぜい2割程度の反落で、この程度はよくある株価の下振れだ。
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■レポート著者 プロフィール
氏名:太田光則
早稲田大学卒業後、ジュネーブ大学経済社会学部にてマクロ経済を専攻。
帰国後、和光証券(現みずほ証券)国際部入社。
スイス(ジュネーブ、チューリッヒ)、ロンドン、バーレーンにて一貫して海外の 機関投資家を担当。
現在、通信制大 学にて「個人の資産運 用」についての非常勤講師を務める。
証券経済学会会員。
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