『トランプ政策、関税の次はドル安』
5月21日、米金利上昇(債券下落)とドル下落という稀有な事象が起きた。減税歳出法案への懸念で20年米国債の入札が低調、一部には米国からの資金流出が起こっているという声も聞かれ始めた。いわゆるトリプル安だ(6月1日文責太田)
目 次
1、トランプ政策、関税の次はドル安
2、1971年、ブレトンウッズ体制の崩壊
3、基軸通貨とトリフィンのジレンマ
4、関税策に次ぐ国際秩序変革の第2弾がドル安政策
5、トランプ政権が他国に求める政策
6、トランプ政権の第3弾
7、ドルの基軸通貨性喪失?
トランプ政策、関税の次はドル安
そして、円は142円台に入った。とはいえ、まだ中長期的に円高を言うエコノミストは少数派だ。その背景には、過去3年間で全面安を強いられてきた円が再評価されているというわけではなく、ドル安という米国側の事情の中で円だけでなく他の通貨も一時的に押し上げられている状況だからだろう。
これまでの円安の背景にあったのは国際収支構造の変化に伴う円の弱さだったと思っている。具体的には、経常黒字であっても、それは第一次所得収支の黒字によるものだが、海外で稼いだ投資リターンは実際のキャッシュフロー(円転)にはつながっていないのだ。日本の企業は海外での投資や配当で大幅な黒字を計上しているが、これらはほとんど国内に戻ってきていない。海外で再投資されているからだ。したがって、以前のように貿易収支の黒字が国内に還元される構図はない。
また一方ではデジタル赤字が増え続けており、2023年で5兆円、2035年には20兆円の赤字とも予測されている。こうしたことが円安の背景にある。
為替は常に「相手がある話」だ。今起きていることは、トランプ政権による戦後の国際経済秩序「ブレトンウッズ体制」の再編という壮大な野望とこれに呼応した米国離れ、それに伴うドル全面安である。決して円が強いわけではない。ベッセント米財務長官は「ブレトンウッズ体制の再編に関与したい」と明言している。つまり国際金融体制の再編を想定したドルの動きなのかもしれない。「日本の構造変化」は日本国民にとって大きな話だが、ベッセント財務長官の言う「国際金融体制の再編」を前にすれば大事の前の小事だ。しつこいようだが、円が見直されているわけではなく、ドルが自滅しているだけだ。この点は極めて重要である。
1971年、ブレトンウッズ体制の崩壊
ブレトンウッズ体制とは、第二次大戦後に米国を中心に作られた、為替相場安定のメカニズムだ。1944年、米国にあるブレトンウッズホテルに連合国の代表が集まって決められたので、「ブレトンウッズ体制」と呼ばれている。これは、第二次世界大戦の遠因でもあった為替相場切り下げ競争の再発を防ぎ、戦後の復興に欠かせない貿易の円滑な発展のための決済システムを作ろうというものだ。基本的には、戦前の金を国際決済手段とする金本位制への回帰で、各国通貨と米ドルの交換比率を固定し、ドルだけが金と交換比率を固定するという、ドルを間に挟んだ金本位制になる。
1971年、ニクソンショックによってこの金・ドル本位制が崩れた。そして、現在の変動相場制になったのだ。ベッセント財務長官は、80年前にスタートしたブレトンウッズ体制の再編を目指すという。このことは、つまりはトランプ政権が目指すのは、①関税策を通じた消費大国から製造大国への米国経済の転換、②ドル高是正と基軸通貨の地位維持の両立、③同盟国との安全保障の応分負担、を主張しているのだ。こうした考え方の底流にあるのは、戦後の米国は、他国から不当に過大な負担を押し付けられてきた、という認識だ。こうした考えは、トランプ大統領が貿易を巡って他国を強く批判する際には、常に込められている。その負担の象徴が、巨額の米国貿易赤字であり、それゆえ、米国貿易赤字の解消に強い執念を持っている。
基軸通貨とトリフィンのジレンマ
ドルが事実上の基軸通貨であることによって、米国は過大な負担を押し付けられてきたとするのが、トランプ大統領のブレーンであるミラン大統領経済諮問委員会(CEA)委員長の主張であり、その考えはトランプ大統領やベッセント財務長官にも共有されている。
世界秩序の変革を目指すミラン氏の考えは、昨年11月に発表した論文で「トリフィンの流動性ジレンマ」という言葉を使っている。
トリフィンのジレンマとは、1960年代米経済学者トリフィン教授が提示した学説で、特定の国の通貨を基軸通貨とする国際通貨体制においては、基軸通貨の供給と信用の維持を同時に達成できないというジレンマをいう。基軸通貨であるドルを例にとれば、多くの貿易がドル建てで行われるため、ドルへの需要が高まる。それがドルの価値を過剰に高め過大なドル高になると、米国の国際競争力が低下して、貿易赤字、経常赤字が拡大する。経常赤字の拡大は、米国の対外債務の増加を意味するが、それこそが海外で必要とされる事実上の基軸通貨の供給に他ならない。ただし、貿易赤字、経常赤字が拡大を続けると、供給過多となったドルへの信認が低下していくという内容だ。
実際には、米国は事実上の基軸通貨国であるから大きなメリット、特権を有しており、ミラン氏のように、そのデメリットのみを強調するのは正しくないだろう。特権とは第1に、米国の貿易のほとんどは事実上の基軸通貨であるドル建てで行われることから、米企業が貿易で為替変動リスクを負うことはない。輸入代金の支払いのために外貨を調達し、あるいは輸出代金の受け取りで外貨を保有し、為替リスクを負うこともない。第2に、輸入の支払いはドルで行うため、支払いが滞ることはない。つまり、国際的な流動性危機、デフォルトは米国では極めて起きにくいということだ。他方、国際的な流動性危機に直面する国にドルを供給し、危機から救うことも基軸通貨国の役割と考えられるが、実際にはその役割は米国ではなく国際通貨基金(IMF)が担っている。米国は事実上の基軸通貨国としての負担よりもメリットをより多く享受しているように見えるが、ミラン氏、トランプ政権はそのように考えていないようだ。
関税策に次ぐ国際秩序変革の第2弾がドル安政策
ミラン氏の考える米国が不当に負担を負わされている戦後の国際秩序の変革の第1弾が、関税策だ。それは、行き過ぎたドル高によって低下させられた米国の国際競争力の回復を図るものだ。そしてそれに次ぐ第2弾がドル安政策だ。ミラン氏は、関税策を打ち出せば、米国の貿易赤字が縮小することなどから為替市場でドル高が生じ、それが関税による米国の国際競争力の回復を妨げる面があるが、それを打ち消す狙いもあって、ドル安政策をとるのである。ミラン氏にとって関税策とドル安政策は、共に米国の国際競争力を回復し、米国の貿易赤字を解消させる対の政策だ。トランプ大統領やベッセント財務長官も同様に考えているだろう。
5月28日、米国際貿易裁判所は関税の差し止めを決めた。即日トランプ政権は控訴し、翌日控訴裁判所で 関税を復活させる判断を下した。おそらく、関税問題は最高裁まで持ち越されるだろう。つまり関税問題の結論が出る前にトランプ大統領はドル安政策を進めていくだろう。
トランプ政権が他国に求める政策
ミラン氏は、2国間通貨合意と多国間通貨合意を通じてドル安政策を進めることを提案している。多国間合意のモデルとしているのが1985年のプラザ合意である。
トランプ政権は与しやすい日本に円安修正とドル安政策への協力を求めるか、関税策が行き詰まれば、トランプ政権は「第2の矢」であるドル安政策を本格的に稼働し始める可能性がある。現在、日米関税協議は為替協議とは別に進められているが、いずれ両者は結びつけられ、日本に対して円安修正、あるいはドル安政策への協力を求めてくる可能性がある。
他国は1985年のプラザ合意の時のように、協調のドル売り介入でドル安調整に協力する可能性は現時点では低い。しかし日本は、安全保障政策で米国への依存度が高いという弱みを持つことから、トランプ政権にとってはドル安政策への協力を押し付けやすい国である。
日米間でドル安円高政策での2国間通貨合意が得られれば、それを他国へも広げていき、多国間通貨合意へと発展させる狙いもあるのではないか。
トランプ政権の第3弾
国際秩序の変革を目指すトランプ政権がとる第3弾の施策が、同盟国との安全保障の応分負担を求めることだろう。ミラン氏は、同盟国に対する安全保障政策を維持することと交換で米国の国債を保有させ、ドル安政策がとられる中でもドルの需要と信認を維持する仕組みを提案している。ただし、トランプ大統領がこのアイデアを受け入れるかどうかは不明だ。
日本政府は、日本が米国国債の最大の保有国であることを強調し、日本が米国の財政赤字、貿易赤字をファイナンスし、ドルの信認維持に貢献していることをトランプ政権に主張している可能性はある。しかしトランプ政権は、米国が日本に対して、安全性と流動性が世界で一番高く高金利の魅力が高い運用対象を提供している、としか理解していない可能性もあるのではないか。
第1弾の関税政策が行き詰まっても、トランプ政権には第2弾のドル安政策、第3弾の安全保障政策の見直しがそれに続く手として残っていることを、日本は十分に理解しておく必要があるだろう。
ドルの基軸通貨性喪失?
日本のGW期間中、アジアの通貨、特に台湾ドルが急騰した。そして16日には米国債の格下げのニュースが流れた。外貨準備としてドルの保有は50%以上がアジア諸国だ。そして、世界の外貨準備残高(除く金)は、2024年12月末時点で約12.4兆ドルであった。米国債売りのオペレーションが相応の規模で想定されることになるが、アジア金融当局の影響力は甚大であるため、金融市場にとって強大なリスクとなる。また、世界の外貨準備でのドルの比率は第1次トランプ政権時には66%あったが、今や60%割れが常態化しつつある。
トランプ政権は米国の貿易赤字を問題視するが、他国は自国の金融収支の黒字、つまりドルへの資金還流の方について、「本当にドルに再投資して大丈夫か」という不信を感じていることだろう。この問題は、国際決済通貨ドルの信用性が、トランプ氏のような人物が登場したことで脅かされてきたのだと考えられる。現段階で私たちはまだ混乱の渦中にあり、ドル体制にどんな構造変化が起きつつあるのかが理解できていないのだと思う。おそらくトランプ氏が自国通貨の信用を担保している米国経済の強さを破壊して、米ドルの価値を徐々に毀損(きそん)させているとみている。円自身も弱くなっている中で、先々は緩やかにドル安・円高が進むと予想する。具体的には年末までに135円もあるのではないかと想定している。同時に米国資産をゼロにする必要はないが、保有率の見直しも必要と考える。
そして分散投資を徹底することが肝要だ。
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■レポート著者 プロフィール
氏名:太田光則
早稲田大学卒業後、ジュネーブ大学経済社会学部にてマクロ経済を専攻。
帰国後、和光証券(現みずほ証券)国際部入社。
スイス(ジュネーブ、チューリッヒ)、ロンドン、バーレーンにて一貫して海外の 機関投資家を担当。
現在、通信制大 学にて「個人の資産運 用」についての非常勤講師を務める。
証券経済学会会員。
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