『市場は日米次のリーダーを注視』
岸田首相は8月14日、次回自民党総裁選に出馬しないことを表明、次期首相次第では株式市場、円相場はどうなるのであろうか、米大統領選も合わせて不透明感が市場に漂う。
(9月1日、文責太田)
目 次
1、米大統領選は混戦模様
2、ハリス氏とは?
3、両氏とも経済政策では似ている
4、一方、国内の自民党総裁選では
5、誰が市場を味方にできるか
6、各候補は円安をどうみるか
米大統領選は混戦模様
トランプ氏当選がほぼ決まったとする「ほぼトラ」予想は米市場から消えた。代わって、メディアはそろってハリス氏が極めて優勢とする「ほぼハリ」へと雰囲気が一転している。
米大統領選を巡っては、民主党候補のハリス氏が勢いを増しているが、激戦州では共和党候補のトランプ氏も負けておらず、依然として結果は予断を許さない。ただしどちらの候補者が勝っても、拡張的な財政運営が志向される可能性が高い(つまり金利上昇)。トランプ氏は2025年末で失効する、富裕層向けのいわゆる「トランプ減税」の延長や法人税率の引き下げ、社会保障給付における所得税の免除などを掲げており、歳出拡大や歳入減が見込まれる。輸入関税の引き上げこそ歳入の増加要因だが財源としては不十分だ。
対するハリス氏もミドルクラスへの支援拡大を訴え、1億人以上の税負担を軽減するとしている。具体的には児童税額控除や低所得労働者向け税額控除の拡充、医療保険料への補助金、住宅の初回購入者に対する補助などが挙げられている。同氏は法人税率の引き上げを掲げるが、法人税が歳入に占める比率は1割にも満たず、やはり財源として不十分だ。トランプ氏ほどではないにせよ、同様に財政赤字の拡大が懸念される。その結果、米国債金利が上昇し当然ドル高傾向が続くと思っていたほうがよさそうだ。トランプ氏の政策は前回と大きく違いはない内容だ。したがって、ここではハリス氏の政策を中心に見ていく。
ハリス氏とは?
副大統領としてのハリス氏の評判はかんばしくなかった。これまで冴えない政治家だったようだ。カリフォルニア州の州司法長官にまで上り詰め、たまたま2016年に、同州の民主党古手の上院議員が引退したので、あまり苦労せずに後釜として上院選挙に当選したのだ。今回も予備選挙を経験せず、いわば「タナぼた」で大統領候補になったことを見ても、よっぽど「持ってる人」なのかもしれない。
「ハリス大統領」が何を目指しているのかは、今のところ曖昧なままだ。しかし、ここへきて、初めて民主党には「決めぜりふ」が生まれた。それは彼女が多用する”We are not going back.”(私たちは後戻りしない)というフレーズだ。これを聞いた後に、トランプ氏の”Make America Great Again”(アメリカを再び偉大な国に)という言葉を思い浮かべると、なんともトランプ氏の「決めセリフ」は時代錯誤的に思えてくる。すなわち民主党は前向きで明るい政党、共和党は後ろ向きで暗い政党、という対比になるわけだ。
あらためて気がつくのは、われわれは「もしトラ」については散々、思考を重ねてきたし、米株式市場も反応してきた。ところが「もしハリ」については、あまりにも準備不足である。「ハリス大統領」になったらどうなるのか、さっぱり見えてこない。9月2日のレイバーデーを過ぎたら、大統領選がいよいよ終盤に入る。ハリス氏の経済政策ももう少し具体的になるのを期待するしかない。
「ハリス大統領」が何を目指しているのかは曖昧なままだ。彼女は強い信念とは無縁な人物のようで、バイデン氏と同様、党にあわせて立ち位置を変える。彼女が以前に大統領候補選に出馬したときの公約(民間医療保険の廃止、シェール開発の禁止、越境の非犯罪化など)は、今回あっけなく放棄された。
彼女はトランプ氏が言うような左翼的イデオロギー主義者ではないのだろう。現実主義者なのは政治家として結構なことだ。ただし「理念なきリーダー」は危うい。優先順位を持たない大統領は、目の前の出来事に流されてしまう。このため海外からの厳しい挑戦を受ける恐れもある。
トランプに勝てればそれでいい、というものではない。大統領として4年の任期に何を目指すのか、ちゃんと有権者に示さなければならない。以前に掲げていた政策を変えるのも結構だが、その場合はちゃんと理由を説明すべきである。
ハリス陣営は今のところは安全運転で、真剣勝負の記者会見さえ行っていない。8月29日にようやく初のインタビューをCNNから受けたが、それも事前収録である。ちょっと過保護すぎるのではないか。トランプ氏はときに支離滅裂な会見をするけれども、ちゃんと敵対的な記者たちの前に出てくるではないか。
両氏とも経済政策では似ている
そこで「もしハリ」について、現時点で考えられる材料をいくつか挙げておこう。第1にハリス氏はかなりよく言えば柔軟だということである。前回の大統領選ではかなり左寄りの政策を掲げていたものの、今回は大胆に中道に寄せてきた。何しろ「シェール開発禁止」なんて言っていたら、油田があるペンシルベニア州では負けてしまう。
彼女は自前の経済政策として、食品価格の統制と住宅費補助を打ち出している。これらはさっそくメディアの批判を浴びている。価格統制は市場介入みたいだし、住宅費補助は不動産価格を引き上げてしまいそうで、いかにも筋が悪い政策だ。細部が発表されていないところをみると、たぶん深追いはしないだろう。まだ試行錯誤の途中という感がある。
面白いのは、彼女がトランプさんの公約である「チップ非課税」を、平気で真似する構えであること。これはレストラン従業員などいわゆる「ホスピタリティワーカー」狙いの政策だが、いいポイントを突いている。
ハリス氏、トランプ氏ともに外交政策では対立しても、経済政策では似通ってくる。端的に言えば、来年が民主党政権になっても、トランプ減税は延長となるだろうし、保護主義的な貿易政策も続くと考えておいたほうがいい。
一方、国内の自民党総裁選では
一方、国内では、自民党の総裁選が9月27日にある。岸田政権の支持率はどん底にあった。メディアは政治とカネの問題が主因というが、世間はむしろ停滞する日本経済を「何も改革しない首相」と見たからであろう。したがって、次期総裁は、岸田政権には見られなかった、思い切った改革色のある政策づくりが課題になる。支持率下落を跳ね返すためには、経済政策への支持を得て挽回しなくてはいけない。2000年以降では、小泉純一郎首相と安倍晋三首相はこれをやり遂げた。二人の「構造改革」と「三本の矢」という旗印は万人の脳裏に焼き付いている。そうした看板政策がないと、今の日本では短命政権に終わりそうだ。
誰が市場を味方にできるか
次期総裁が成功するには単純化すれば、外交は米国を味方につけ、選挙では無党派層を味方につけ、経済政策はマーケットを味方につけることである。特にマーケットを味方にするためには、海外投資家に訴求力の高いメッセージを送る必要があろう。これは、小泉・安倍政権のサクセスストーリーに学んだ教訓だ。両政権の運営にはいくつもの問題があったが、全体として成果をあげた。
海外投資家に対して強いメッセージが伝わる政策とは何だろうか。筆者が推測すると、1)テクノロジー活用、2)生産性革命、3)市場開放、の3つではないかと考える。この3,4年の間に人工知能(AI)が劇的に進歩しているのに、あまり実務の世界では利用されていないように思う。今までの政府が掲げてきたテクノロジー活用とは、「キャッシュレス」のように小さな世界の革新だったという印象だ。多くの労働力を省力化できるプランを提言してほしい。AI導入を推進し、余剰労働力はより生産性の高い仕事に移動してもらう。省力化の成果は、きっと人手不足の改善にも役立つことだろう。
こうした生産性向上を促すものは、競争圧力だ。外資や他業態からの参入に対して、みずからを改革しなければ生き残れないというプレッシャーが、市場開放をもたらす。改革の成果が出るまでには少し時間はかかるが、株式市場は日本経済が変革される姿を先取りして、株価上昇へと向かうだろう。海外投資家はそうした変化に反応して、日本株への投資を増やしていくに違いない。
誰ならばマーケットへの訴求力が高い政策を打ち出せるのかという点は、未知数の部分が大きい。政治経験の長さはあまり関係なさそうである。例えば、経済閣僚を複数回経験して、役所や経営者とのパイプがあることは有利な点だと思える。国内政治で野党などと長く渡り合ってきたキャリアよりも、経済外交の窓口を担ったり、様々な事業規制について企業からの声を聞いたりした経験は、行き届いた政策を考える際の糧になることだろう。
「新鮮さ」は確かに選挙を行うときの優先条件になると思うが、それだけでは十分ではない。今後、候補者たちが討論会などで各自の政策メニューを披露することだろう。その中で、各候補者がどれだけマーケット・フレンドリーなセンスを持っているかを見極めていきたい。従来、討論会などで「反企業」寄りの主張を聞くこともあったが、次期総裁選では「企業寄り」の発言を期待したい。
各候補は円安をどうみるか
岸田首相は、資源高や円安を受けた物価高への対応に苦しんだ。資源高が収まっても、米国の利下げ先送りで円安が再加速し、一時161円を付けたことは記憶に新しい。そこで各候補者らは、為替相場について、どのように発言してきたかを見てみる。
7月31日に日銀が追加利上げに動く直前には、17日に河野太郎デジタル相が英語インタビューの中で円安是正のための追加利上げを日銀に求めたと報じられたほか、19日には岸田首相も「金融政策の正常化が経済ステージの移行を後押しする」と発言。22日には茂木敏充自民党幹事長が「段階的な利上げの検討も含めて金融政策を正常化する方針をもっと明確に打ち出す必要がある」と主張した。これらの発言が7月の会合での追加利上げに向けて日銀の背中を押したと、市場には受け取られている。
「ポスト岸田」候補者らは、為替相場について、どのように発言してきたのだろうか。発言記事を可能な限り拾ってみた。
石破茂元自民党幹事長~7月27日、講演会で、経済政策を巡って円安を『円弱』だと指摘して是正を訴え、金利を上げる必要性があると主張(7月29日、日経電子版)。
加藤勝信元官房長官~実際に金利を(日銀が)引き上げるに当たっては、決して強くない足元の経済、特に消費をどのように見るかが重要」(5月13日、ロイターが配信したインタビュー)。
斎藤健経済産業相~「(為替相場の)過度な変動には注視が必要」「中小企業にしわよせがいかないよう価格転嫁を進める」「(円安により金額ベースで輸出が増えているが)数量が増えてないとの指摘があり、日本で投資が不足し世界で勝負できていない」(3月29日、記者会見)。
林芳正官房長官~「為替相場はファンダメンタルズを反映して安定的に推移することが重要で、過度な変動は望ましくない」「足元の為替相場の動向や水準、為替介入について具体的な見解を申し上げることは市場に不測の影響を及ぼすおそれがあることから差し控える」(4月11日、記者会見)「日銀の金融政策は為替誘導を目的としたものではなく、物価安定目標の持続的・安定的な実現のために行われている」(7月18日、記者会見)
茂木敏充自民党幹事長~日本経済について円安や物価高などを不安要因に挙げた。「あらゆる方策を使って生産性をあげることで、一人ひとりの所得が上がる。こういう日本をつくることが何より重要だ」(6月2日、日経電子版)。
上川氏、小泉氏、小林氏、高市氏、野田氏については、為替の円安に直接言及した発言は、報道では見出されなかった。
今回の「ポスト岸田」の候補者には為替や中央銀行の金融政策に関して、米国のトランプ前大統領のような過激なコメントが出てこない、いわば「おとなしい」状況が続くとするなら、「ポスト岸田」候補の記者会見やインタビュー、討論会などの場から、市場に対してサプライズとなる材料が出てくる可能性は小さい。むしろ注目すべきは、安倍首相が主導した物価目標2%を共有した形になっている2013年1月22日の政府・日銀共同声明、いわゆる「日本版アコード」を、次の内閣がどのように取り扱うのかという問題だろう。菅内閣や岸田内閣のようにそのまま踏襲するのではなく、物価目標2%を事実上棚上げするような修正が仮に加えられる場合には、将来的な日銀の利上げ余地を巡る市場の思惑が刺激されて、為替相場がそれなりに動く可能性がある。
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■レポート著者 プロフィール
氏名:太田光則
早稲田大学卒業後、ジュネーブ大学経済社会学部にてマクロ経済を専攻。
帰国後、和光証券(現みずほ証券)国際部入社。
スイス(ジュネーブ、チューリッヒ)、ロンドン、バーレーンにて一貫して海外の 機関投資家を担当。
現在、通信制大 学にて「個人の資産運 用」についての非常勤講師を務める。
証券経済学会会員。
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